醜形恐怖症の人間が整形した記録。

醜形恐怖症の私が、整形をしたら何か解決するのか?二重全切開と鼻尖縮小を受けた後の日常やら。

久しぶりに気持ちのデトックス。

ああああー整形したいね。

顔の造形を弄るのはもちろんしたいのですが、プチ整形から本格的な整形やらで貯金がふっとんだので我慢。我慢。

それに一番気になっている輪郭形成は高い&ダウンタイムが鬼の様に長いので、会社を辞めるときしか出来ないですね(´•ω•`)

今年は2週間近くあった夏休みが3日も削られましたので更にやりにくい(^ω^#)

目尻切開して目をぱっちりさせたかったんですよねー。
まぁ、輪郭形成の為にお金貯めなきゃなんですけどね。
何かやりたいんですよね。整形。

取り敢えず輪郭をすっきりさせたい&ダウンタイムがまだ何とかなるメソセラピーorリポビーンします。この夏にボーナス握りしめて!(笑)

もう自分の顔が変わっていく快感は堪らないわけです。
あぁ、こうやって人は整形依存になるのかと。

ピンポイントでこだわりが強過ぎるタイプの人間+醜形恐怖=納得行くまで整形ループってやつですね。

脱毛でもクリニック通い過ぎてて顔馴染み。
ビクビクしてた美容外科も慣れたもんですな。

ナルシストな人が羨ましい。

世間的にはナルシストってマイナスイメージですが、私には羨ましい限りです。

 

鏡に映る自分を見て「綺麗」「可愛い」って思えるんですよ。

良いなぁって思います。

 

何でこんな気持ち悪い顔してるんだろうな〜って、鏡を見る度に毎回思うので。

 

うん。羨ましい。

さて次はドコを整形しようか。

整形して顔を変えれば、この悩みから解放される!

ずっと、そう思ってました。

 

身体醜形障害の人に美容整形は意味が無いと言われていますが、本当にその通りなんだなって思いました。

 

確かに顔が変わって少しの間は嬉しくなるし、自分の顔が好きになれるかな?と前向きな気持ちになれるんです。

 

でも、時間の経過と共に、整形による腫れや浮腫が引いて完成系が分かってくる、これ以上の変化が望めないなと思ってきたら、また別の所が気になって、その事ばかりを考えてしまうんです。

 

テンプレート通りな自分に笑えますが、本当にそうなんです。

 

全切開にして、二重の幅を広げさえすれば大丈夫!

二重の整形をして終わりって思っていて、他の部分の整形なんてこれっぽっちも考えてなかったのに、気になって気になって、鼻の整形までしてしまいました。

 

そして、今は輪郭が気になってしょうがないのです。

 

今度は整形ではないですが、手術をします。

お金の問題がありますが。

 

やっぱり、負のループから抜け出せそうにないですね。

鏡を見ていないと不安になる。

とにかく、いついかなる時でも二重の状態が気になってしかたがなかった私は、隙あらば鏡を見続けていました。

 

鏡がない時は何か顔が映り込むものを探しては見てました。

 

別に自分の顔が好きで見てる訳ではなく気持ち悪いと思うが故に確認したくなるんです。

 

ナルシストとは真逆なんですよ。

 

朝、メイクした状態から酷くなっていないか。

もしくは、ほんの少しの望みをかけて良くなってないかを見るんです。

 

そして、自分の顔の醜さに自己嫌悪・・・。

 

鏡を家に忘れた日なんか、落ち着かなくて地獄でした。

 

先日も書いた通り、鏡で確認する作業は今でも止められません。

 

私の顔に対する執着心は、以前より大分マシになりましたが、それでもやっぱり人よりは大いにあります。

 

まぁ、それが醜形恐怖症の範囲からは少し位は外れたのかなという感じですね。

 

諦めがつくようになりましたが、そんな事は高校生の私が知るはずもなく。

 

整形をするまでの10年近くを悩み続けることになりました。

今でもしてしまう事。

何だか毎日の日課みたいになっていることがあります。

 

それは、会社帰りに最寄り駅のトイレで顔の確認をすることです。

 

普通の人だと、メイクが崩れてないかなとか、髪型乱れてないかなって確認すると思うんです。

 

ただ、私の場合は少し違っていて、今日一日過ごして顔が変になっていないかの確認の為に鏡を見に行きます。

 

せめて現状維持はしててくれよっていう気持ちです。

 

何でか分からないんですけど、足が勝手にトイレの前に来てしまうんですよね。

 

以前みたいに何時間も鏡を見続けることは無くなりましたけど、やっぱり鏡を見ないと不安なんです。

目に対する異常な執着。

醜形恐怖症には色々なタイプがあって、同時に対人恐怖症やうつ病を患っている場合も多く見受けられるそうです。

 

そして、美醜という主観的な判断基準が絡むので、悩み方も様々で色々なタイプがあります。

顔や体全体が醜く感じる人、顔や体のある一部にこだわり、その部位が醜く感じる人などです。

 

私は後者のパターンで、自分の目に異常なまでに執着していました。

 

朝、メイクを何度も何度も自分の気が済むまで繰り返したり、左右対称に仕上がらないと不安で不安で堪らなかったです。

 ぐるぐるぐるぐる、目の事ばっかり考えて、気持ち悪くなって吐きそうになるんです。

 

具体的にどこが気に入らないかというと、二重の幅が狭くてキツくて鋭過ぎて醜い、左右で二重の幅が全然違うので気持ち悪いといった具合です。

片目は二重で、もう片目は奥二重という、アンバランスさが余計にわたしを悩ましていました。

 

娘の贔屓目なしにみても、母が美人で、特に目が大きくパッチリの理想的な目元だったんです。

 

その事が余計にコンプレックスを刺激して、どうして私の目は小さくて二重も狭いんだろうって、理不尽だと思ってました。

 

こうして醜形恐怖症になった。

そもそも、なんでこんなに自分の顔にこだわるのかと言うと、キッカケは些細な事だったんですよね。

 

それまでは美人とは思わなかったけど、まぁ普通の顔はしていると思ってたんです。

 

私の通っていた高校は、とにかく美男美女揃いで、そんな中で自分という存在が日に日に歪なモノだと考えるようになりました。

 

歪で醜くて異形のものであると、強く思うようになってからは、学校に行くのも嫌になり、日に日に登校日数は減っていきました。

 

特に私は自分の目に物凄く執着していて、この目がこんなに気持ち悪い目じゃなければと毎日考えていました。

 

その時、ちょうどハーフ顔全盛期と言うか、幅広並行二重こそ正義!みたいな流れだったので、そんな目と比べては自分のしょぼい目に苛立ちを覚えていました。

 

一方で、友達と話したり遊んだりするのは好きなので、全然普通に過ごしてました。

元々の性格が明るいので、学校にいる時は明るく元気に過ごしていました。

 

ただ、顔のことを考え出してしまうと、どうにも上手くいかなかったんです。

 

学校にいる時の私が終始明るかったのは、顔のことを考えなくて、行けるコンディションの時にしか行ってなかったからなんです。

 

何をするのも、目が中心の、今思えば狂った毎日を過ごしていました。

ほんと、馬鹿なことして大切な時間を無駄にしてきたなって思います。

 

でも、その時は必死だったんですよね。

それだけの事だったんです。